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ポップス黄金時代~ Popular Hit Parade ~

1950年代から現代までの、洋楽ポップス・ヒストリーを華やかに彩った偉大なるアーティスト達と、その時代に輝く名曲の数々を辿って参ります。
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リジェンツが1961年に放ったヒット曲「バーバラ・アン」は、ドゥ・ワップ調で作られている楽曲全体がとても個性的であった事と、後にビーチボーイズにカバーされ、そのバージョンも大ヒットした事からポップス史にしっかりと足跡を残しています。

この曲は、「♪バー・バー・バー、バーバーラ・ア~ン♪」という印象的な歌い出しで始まり、全編に渡るコーラスとファルセット・ボイスがとてもインパクトのある特徴的なヒット曲でした。

ですからビーチボーイズの方も原曲を特に変える事なく、素直にそのままカバーしておりますが、コーラスとファルセット・ボーカルと言う、まるでビーチボーイズの為に有ったのでは、というくらいぴったりとマッチした楽曲で、ライブでも必ずと言っていいほど取り上げられておりました。

リジェンツというグループは早くから姿を消しましたが、それよりも楽曲の「バーバラ・アン」の方はポップス・ヒストリーの中で長い寿命を誇っていますね。


「バーバラ・アン」~リジェンツのオリジナル・バージョン

「バーバラ・アン」~こちらはビーチボーイズ/TVショーのステージより

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ワンダ・ジャクソンというと、元はカントリー&ウエスタンの世界で活躍していた女性シンガーですが、その彼女が1960年に放ったヒット曲「Let's Have A Party」は何と、典型的なロックンロール・ナンバーでした。

それまでのワンダ・ジャクソンのイメージというと、まず出て来るのはヒット曲の「フジヤマ・ママ」でした。

その昔、この歌を聞いてまだ英語の歌詞の内容は分からなくて、洋楽で「フジヤマ」と出て来るのがちょっと奇妙にも思えましたが何となく、日本の事を歌ってるんだなあ、と思った記憶があります。

「Let's Have A Party」は、その彼女がロックンロールをダミ声で歌ってるわけで、これはかなりのインパクトがありました。

この頃、ポップス界はロックンロールの洗礼は受けていたものの、典型的なパターンの曲をシャウトして歌うのははほとんどが男性シンガーでしたから、明らかなロックンロールを歌う女性シンガーはまだ居なくて、彼女が率先して取り上げたのでした。

この時代の他の女性シンガーのレパートリーは、ほとんどが可愛い子風ポップスでした。


「Let's Have A Party」~オリジナル音源

「Let's Have A Party」~当時のTV映像

「Let's Have A Party」~こちらは比較的最近のカラー映像


1960年に「さあベイビー、楽しくツイストを踊ろうぜ!」と「ザ・ツイスト(ツイストNo.1)」を腰をくねらせながら歌ってアメリカで一大ツイストブームを巻き起こしたのが、今でもキング・オブ・ツイストと呼ばれている「チャビー・チェッカー」です。

それはやがて日本でもかなりのブームとなり、当時の若者もこぞってツイストを踊りまくっていました。

今でもオールディーズ・ライブハウスへ行ってノリの良いロックンロール・ナンバーが演奏されると、ダンスフロアはおじさん、おばさんのツイスト大会と化します。
それだけツイストというダンスが音楽と一緒に当時は爆発的ヒットとなったのですね。

ツイストが爆発的ヒットしたのは、ちょっとクセのある黒人音楽としてではなく、ロックンロールをベースに、万人に対して「さあみんな、ノリノリになって楽しく踊ろうぜ!」と分かりやすい歌詞とサウンドでアピール出来たからでは、そしてそのビートに乗って踊っていると、リズム&ブルースからずっと脈打っている、根底に流れているビートで気分も高揚したからではないでしょうか。

チャビー・チェッカーはその頃、「ザ・ツイスト」のビッグ・ヒットに続いて「Let's Twist Again」、「Slow Twistin' 」、「Twist It Up」と、ツイスト・ナンバーを立て続けに送り込んでいます。

この「ザ・ツイスト(ツイストNo.1)」は、'60年に全米チャートのNo.1を獲得していますが、チャビー・チェッカーが'61年にエド・サリバンショーへ出演した事がきっかけでメーカーへの問い合せが殺到してレコードが再発され、'62年に再度No.1となるという珍事も引き起こしています。
恐るべしはメディアの力でしょうか。


「ザ・ツイスト(ツイストNo.1)」~当時のTV映像より

「Let's Twist Again」~当時のTV映像より

「Slow Twist」~こちらはちょっとスローなツイスト

「ツイスト・メドレー」~1985年のライブ映像より/Let's Twist AgainとThe Twistのメドレー

1960年代に入ると、アメリカではロックンロールという音楽の初期の過激さはすっかり影を潜め、明るく健康的でリズミックなポップスというパターンでポピュラーヒットパレード界にすっかり定着しています。

この時期、10代の青春シンガー達はこぞって’健康的な’ロックンロール・ナンバーのシングルを数多くリリースしており、後にきちんとした歌唱力で実力派の仲間入りを果たすシンガーも居ます。

ボビー・ライデルもその一人でしょう。

彼が10代の終りにヒットさせた「スウィンギング・スクール」という曲、学校がスイングするという歌ですが、リズムはスイングではなく軽いタッチのロックンロール・ナンバーで、とにかく軽快に且つ明るくという、この頃の典型的なヒット狙いのナンバーです。


「スウィンギング・スクール」~オリジナル音源

「I Dig Girl」~当時の人気音楽番組「ロックンロール・バンドスタンド」の1シーンでしょうか。

ジミー・ジョーンズの最大のヒット曲「グッド・タイミング」は、1960年にヒットしたアメリカン・ポップスの中でも特に日本人に取って印象に残る1曲でしょう。

これは、1回聞いただけでそのフレーズが頭に残って離れないという、ヒット曲にとって大事な要素を持っている曲で、とにかく良く出来ているのに感心します。

曲が始まると、特に歌い出しの部分、♪ア、ティカ、ティカ、ティカ、トゥー、ユー、タイミン、ターガ、ターガ、ターガ、ターガ♪というのが自然に口から出て来るオールド・ファンは沢山いらっしゃるのではないでしょうか。

ジミー・ジョーンズの名前は、この曲だけで一生ものです。

オリジナルの方もさる事ながら、日本では特に「九ちゃん」こと「坂本 九」の初期のカバーヒットとして当時からすっかりおなじみになっている曲ですから、ジミー・ジョーンズのオリジナル・バージョンよりも九ちゃんのもんだ、という方も多くいらっしゃるでしょう。

まるでオリジナル・ヒット曲の様に、九ちゃんの個性的な声にピッタリとはまってる曲ですものね。


「グッド・タイミング」~ジミー・ジョーンズのオリジナル・バージョン

「グッド・タイミング」~坂本 九のカバー・バージョン



1960年に入るとプレスリーは目出たく除隊し、それから即、レコーディングされて放ったヒット曲がこの「Stuck On You」でした。

当時、ロックンロール・キングと言われていたプレスリーの現場復帰を多くの熱狂的なファンがよっぽど待ち望んでいたのでしょう、当時の予約だけでミリオンセラーを達成するという記録的な数字を残しています。

ブルース・コード進行を基調としたミディアムテンポのシャッフルビートの曲で、「All Shook Up」と同系統の曲ですが、こういうタイプの曲を歌うプレスリーは本当にかっこいいですねえ。

所でこの「Stuck On You」、「本命はお前だ」という邦題が付いていますが、これも時代を感じさせますね。




フェビアンは、1950年代の後半から活躍していた、フランキー・アバロンと並ぶアイドル・ロック・シンガーです。

彼は、エルビス・プレスリーが兵役で不在の時にデビューしてプレスリーばりに歌い、たちまちティーンエイジャーの人気者になっていました。

その彼の最大のヒット曲が1959年にリリースされた「タイガー・ロック/Tiger」です。

この頃、彼は人気絶頂で何曲もヒットを放っていましたが、1960年代になると段々とトーンダウンして行き、今度は俳優業に専念して映画の世界で活躍しています。

「タイガー・ロック」~当時のライブ・ステージより

「This Friendly World」~アップテンポのナンバーでおなじみのフェビアンが歌うバラードです。

ヒスパニック系のロックンローラーとして1958年にデビューしたリッチー・バレンスは、まずデビュー曲『カモン、レッツゴー」をスマッシュヒットさせ、それに続いて、A面が「ドナ」、そしてカップリングのB面が「ラ・バンバ」という彼最大のヒットシングルをリリースします。

この強力なカップリングのシングルはやがてミリオンセラーとなり、リッチー・バレンスを一躍スターダムに押上げたのでした。

所が残念な事に彼は、1959年2月、ツアーの移動中に小型飛行機の事故でバディ・ホリー、ビッグ・ボッパーと共に帰らぬ人となっています。
このロックンロール・スター3人の飛行機事故による死は当時、ポップス界に大きな衝撃となって報じられました。
そしてリッチー・バレンスは、その時18才という余りにも早い死でした。

彼の残したこの最大のヒットシングルの、A面の「ドナ」の方はリッチー・バレンス自身の作品で、ロマンチックなティーンエイジ・ラブ・バラードという曲調で、ヒットチャートでは最高2位を記録しています。

もう一方の「ラ・バンバ」は、今や全世界で愛されているラテン系のポップスの代表曲となっておりますが、元々はメキシコのトラディショナルな楽曲で、結婚式などで良く歌われて来たそうです。

こちらの曲の方がその後に様々な名カバーを生んでおり、1962年にはトーケンズ、1966年のトリニ・ロペス、そして1987年には、リッチー・バレンスの短い生涯を描いた映画「ラ・バンバ」のテーマ曲としてカバーしたロス・ロボスのバージョンは、全米No.1というビッグ・ヒットとなりました。


「ドナ」~オリジナル音源


「ラ・バンバ」~オリジナル音源


「カム・オン、レッツゴー」~オリジナル音源


「ラ・バンバ」~映画と共にヒットした余りにも有名なロス・ロボスのカバー・バージョン


ボビー・デイは、テキサス生まれのロサンゼルス育ちのR&Bシンガー。

その彼の代表曲と言えば、1958年にヒットさせた「ロッキン・ロビン」でしょう。

タイトルを直訳すると「ロックするロビン(こまどり)」という事になるでしょうか。
歌の中でも鳥が歌う様子がスキャットの様に表現されていたりしていて、なかなか面白いロックンロール・ナンバーになっています。
ボビー・デイがこの曲をヒットさせたのは若干15才の時でした。

この曲は自身のオリジナルではありませんが、彼はソングライターとしても才能を発揮しており、デイブ・クラーク・ファイブの唯一のNo.1ソング「オーバー・アンド・オーバー」などは彼の作品です。


「ロッキン・ロビン」~ディズニー・アニメのミュージックビデオ


ボビー・フリーマンはサンフランシスコ生まれの黒人シンガーソングライター兼ピアニストですが、何と言っても彼の名前を広く知らしめる事になったのは、1958年にリリースした「踊ろよベイビー/Do You Want To Dance」というビッグ・ヒットを生んだ事でしょう。

この曲はロックンロールというか、リズム&ブルースのカラーが色濃く残っている曲で、”踊ろうぜベイビー、そして月の下で一晩中オレを抱きしめておいてくれ”とセマる歌なのですが、それまでの黒人ロックンロールの様な激しさはそんなになくて、ややソフトで乗りの良いムードで聞かせる、といった所が特徴です。

その後、この「踊ろよベイビー」は色んなビッグアーティストにカバーされていて、それぞれのアーティストが独自の特色をこのカバー曲に持たせていました。
1964年にはデル・シャノン、'65年にビーチ・ボーイズ、'68年にアコースティックのソフトなバージョンで目を引くママス&パパス、'72年にベッド・ミドラー、'78年にラモーンズという、カバーしたアーティストにもそうそうたる顔ぶれが揃っています。

またボビー・フリーマンには1964年に「スイムで行こう/C'mon and Swim」というヒット曲もあります。


「Do You Want To Dance」~オリジナル音源・ディズニーのアニメで


「C'mon and Swim」~当時のモノクロTV映像


「踊ろよベイビー」~デル・シャノンのカバー・バージョン



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