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ポップス黄金時代~ Popular Hit Parade ~

1950年代から現代までの、洋楽ポップス・ヒストリーを華やかに彩った偉大なるアーティスト達と、その時代に輝く名曲の数々を辿って参ります。
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レイ・チャールズが1961年にリリースし、彼自身が放った2曲目の全米No.1ヒット曲となったのがこの「旅立てジャック」です。

女性コーラスとレイのやり取りで進行して行くという、当時のレイ・チャールズの作品で良く使われていた手法で構成されており、ブルージーながらぐんぐん乗せて来るというアップテンポナンバーになっています。

'60年代に入ると、こういったブルージーでかつゴスペル風の黒人音楽のナンバーが、アメリカではどんどん市民権を得て行ってヒットチャートに登場する様になり、ポピュラー音楽界を賑わせています。


「旅立てジャック」~当時のTV映像より

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ボビー・ルイスが1961にリリースして見事にヒットチャートのNo.1を獲得した「トッシン・アンド・ターニン」は、いかにも、というノリノリのご機嫌なリズム&ブルースです。

曲の作りとしてはほとんど3コードなのですが、アレンジ的にはサックスの使い方やリズムのきめなど、この時代のR&Bの典型的なパターンで作られていまして、思わず乗せられてしまう様なカッコよさがあります。

ボビー・ルイスは他に何曲もNo.1ヒットソングを持っておりまして、アメリカでは当時から黒人のビッグ・アーティストなのですが、何故か日本での知名度は今一歩です。

これはどうやら、バタくさいR&Bは余り日本人受けしない、という事なのでしょうか。


「トッシン・アンド・ターニン」~オリジナル音源

ドリフターズという人気黒人コーラスグループのリードボーカリストとして活躍後、ソロシンガーとして独立したベンE.キングが放った、彼最大のヒット曲であり、今やすっかりスタンダードとなったのがこの1961年にリリースされた「スタンド・バイ・ミー」です。

楽曲の作りとしてはとにかくシンプルで、同じフレーズがリフレインされ、それで段々と盛り上がって行くという構成になっております。

これはリズム&ブルースなどの黒人音楽に良く出て来る手法で、同じフレーズ等がずっとリフレインされていくうちに、聞く人に完全にインプットされてしまうのですね。

ですからこの曲はA-F#m-D-E7という8小節の循環コードが延々と繰り返されるだけ。
「えっ? それだけなの?」というくらいコード進行は超簡単なんですね。

そしてその循環コードを支えているベース・ラインがこの曲のミソであり、そのベース・ラインは曲の個性化に大きな役割を果たしておりまして、曲のメロディラインと対比的に進行する様に上手く出来ている良いフレーズで、曲が終わるまでにはもうその8小節のフレーズをまんま覚えてしまいます。

進行的にはシンプルな循環コードだけなのですが、良いメロディと良いアレンジでこんな名曲になるのですから、これがポップス・マジックなのでしょうね。

またこの曲は、1987年に同じ「スタンド・バイ・ミー」というタイトルの映画が公開された時にタイトル曲として使われており、そのお陰で再びトップ10入りするというリバイバル・ヒットを記録しています。

それでオールド・ファンだけでなく、幅広い年代の方に聞かれている訳ですね。


「スタンド・バイ・ミー」~オリジナル音源/プロモ映像

「Mother-In-Law(ままはは)」とは、ちょっとドキっとする、どちらかというと風変わりなタイトルですが、ドゥ・ワップ・コーラスをバックにアーニー・K.ドゥが明るく歌って1961年にヒットさせたのでした。

この曲を聞くと、どうしても大滝詠一のアルバム「ナイアガラ・ムーン」を思い出してしまうのですが、アルバム収録曲の「楽しい夜更し」は、この「Mother-In-Law」が下敷きとなって出来ていますね。

大滝詠一は「はっぴえんど」解散後、オールディーズ時代のアメリカンポップスの膨大なレコード・コレクションとその研究をベースに、それらを曲作りに生かしながらアルバムをリリースしておりまして、随分ファンを楽しませてくれました。


「Mother-In-Law」~オリジナル音源

ジョージア出身のレイ・チャールズが初めてチャートNo.1を獲得したのがこの1960年の「我が心のジョージア/Georgia On My Mind」でした。

原曲は「スターダスト」等で余りにも有名なホギー・カーマイケルの作品ですが、レイ・チャールズは「ホワッド・アイ・セイ」とは打って変わってしみじみと感動的に歌い上げています。

後にこの曲はジョージア州の州歌にもなったとか。

'61年の公民権運動のさなか、レイ・チャールズは人種差別に異論を唱え、歌う事を拒否したお陰でジョージア州から永久追放されるのですが'79年、今度は州議会から謝罪を受け、そして正式にこの歌が州歌となっています。

そしてこの曲はレイの、晩年まで最も大切なレパートリーとして大事に歌い続けられていました。


「我が心のジョージア」~当時のモノクロTV映像

「我が心のジョージア」~アメリカの人気ライブ番組「ミッドナイトスペシャル」1976年の映像

アメリカのリズム&ブルース界きっての偉大なる大物、レイ・チャールズの登場です。

彼が1959年にリリースした「ホワッド・アイ・セイ/What'd I Say」のヒットにより、その存在がポップス・ファンの間でも広く知られる様になり、またこの曲が、世界中にアメリカの黒人音楽の魅力と、その独特のグルーブ感を伝えるのに充分な役目を果たしています。

オリジナル音源では、冒頭の約1分半はインストゥルメンタルで、それからやっとボーカルが出て来るという作りになっており、レイと黒人女性コーラスのコール&レスポンス(掛け合い)で、聞く者をぐんぐん乗せて行くという形はゴスペルの様式から取られたものですが、いつ聞いてもこの曲ならではの存在感を示しています。

少し前に封切られましたが、彼の生涯を描いた音楽映画「レイ」も見応えたっぷりでした。

この「ホワッド・アイ・セイ」が最初に日本でシングル・リリースされた時には「何と言ったら」という邦題が付けられていました。
これは、レコード会社の担当者の成せる業なのでしょうが、それにしても随分なタイトルを付けるものだなあ、という見本ですね。
さすがに今はその邦題を言う者は居ませんが・・・

彼のナンバーでは「ジョージア・オン・マイ・マインド」や「愛さずにはいられない」も忘れられない名作ですね。


「ホワッド・アイ・セイ」オリジナル音源


「ホワッド・アイ・セイ」~当時のTVショーより


「ジョージア・オン・マイ・マインド」~当時のTVショーより


「愛さずにはいられない」~当時のTVショーより



ブルースの女王、それがダイナ・ワシントンに付けられた称号でした。

彼女はリズム&ブルースの世界で渋く卓越したシンガーとして認められ、1950年代に活躍しておりました。

その彼女が1959年にリリースして彼女の最大のヒット曲となったが「縁は異なもの/What a Difference a Day Makes」です。

この曲、元々は古いスペインの歌で、英語の歌詞が付けられたのは戦前の話。
そんな古い曲がダイナ・ワシントンの名唱で1959年にリバイバル・ヒットとなったのでした。

彼女はこの年、この曲でグラミーのベストR&B賞を受賞しています。

残念ながら彼女は1963年に39才の若さで他界していますが、彼女の歌声はこれからも愛聴され続けて行く事でしょう。


「縁は異なもの」~オリジナル音源

「Mad About The Boy」~オリジナル音源

「Send Me To The Electric Chair」~当時のTVショーより

ロイド・プライスは、ニューオーリンス出身の黒人リズム&ブルース界の大物と言われているシンガーです。

彼はまず1959年の初頭にリリースした「スタッガー・リー」という曲がNo.1ヒットとなっており、それに続いて「パーソナリティ」という彼の代表作と言われる曲をリリースしています。

この「パーソナリティ」という曲は、明るいリズム&ブルース、とでも言えば良いのでしょうか、鬱々とした独特のブルース感のある曲ではなく、どちらかというとネアカな曲で、女の子が個性的なのを讃えているという様な内容の歌でした。

当時、日本での発売当初も結構ヒットしておりましたが、その頃はこういったリズム&ブルース系の歌手の曲も日本にどんどん輸入されていたんですね。


「パーソナリティ」~オリジナル音源


「スタッガー・リー」~オリジナル音源


「パーソナリティ」~ブレンダ・リーのカバー・バージョン


デトロイト出身の黒人R&B歌手/ジャッキー・ウイルソンは、ボクサーとしてのキャリアもあって、そのボクサーとしての身のこなしの軽やかさとしなやかさが、彼の驚異的なダンスを生んでいます。

ダンスパフォーマンスでも見せてくれる黒人シンガーとしてはジェームス・ブラウンと双璧だと言われており、数多くの黒人アーティストに大きな影響を与えて来ました。

その歌って踊れるジャッキー・ウイルソンを目標にしていたのが少年時代のマイケル・ジャクソンで、そのダンスにはかなり影響されていました。
マイケル・ジャクソンがあみ出したあの驚くべきダンス・パフォーマンスのルーツは、実はジャッキー・ウイルソンにあったのですね。

そのジャッキー・ウイルソン最大のヒット曲であり代表曲が1958年の「ロンリー・ティアドロップス」で、この曲はミリオンセラーも記録しています。

このヒット曲を作ってプロデュースしたのが、後にモータウン・レーベルを立ち上げるベリー・ゴーディー・Jrでした。
彼はこの曲を手がけた事が認められて、それがきっかけとなって後に会社を興す訳ですから、モータウン・レーベルが生まれるきっかけとなったのがこの曲だ、という事でも重要な意味のある楽曲だと言えるでしょう。


「ロンリー・ティアドロップス」~当時のモノクロTV映像


「ロンリー・ティアドロップス」~ソウルにアレンジされたバージョン


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