FC2ブログ

ポップス黄金時代~ Popular Hit Parade ~

1950年代から現代までの、洋楽ポップス・ヒストリーを華やかに彩った偉大なるアーティスト達と、その時代に輝く名曲の数々を辿って参ります。
管理者ページ 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
デビュー曲の強烈な印象から「ダイナマイト娘」というニックネームのついたブレンダ・リーのイメージをがらっと変えて見事、当時のアメリカのヒット・チャートの一位を獲得したのがこの1960年のヒット曲「I'm Sorry」でした。

それまではパンチの効いた歌いっぷりで、はちきれんばかりのティーンエイジャー・シンガーだった彼女が、こんなにもしっとりとバラードを歌い上げるとは・・・

この見事な歌唱力はこれまた大いなる驚きで当時、多くの人々を唸らせてしまいました。

彼女の卓越した歌いっぷりをじっくりと味わって下さい。


「I'm Sorry」~当時のTV映像より

「I'm Sorry」~’80年代のライブ映像より

スポンサーサイト
コンウェイ・トゥイッティは、'70年代以降はカントリー&ウエスタンの世界で大御所となったシンガーですが、若かりし頃の1950年代はバリバリのロックンロール・シンガーでした。

その彼が1959年に放ったヒット曲に、ロックンロール調にアレンジされた「ダニー・ボーイ」があります。

この曲、元々は北アイルランドの港町ロンドンデリーに伝わる民謡が原曲で、日本でも音楽の教科書などでは「ロンドンデリーの歌」として紹介されていました。

郷愁を誘う様なとても美しいメロディを持つ名曲ですが、その曲にイギリスのF・エドワード・ウエザリーが新しい詞をつけ、「ダニー・ボーイ」というタイトルで歌われてポピュラーになったものです。

素朴なタッチのハリー・ベラフォンテや、ムーディーなアンディ・ウイリアムスの名唱でおなじみの曲ですが、コンウェイ・トゥイッティのバージョンは、途中からロックンロールに変わるというアレンジがなされていて、それが結構なヒットとなったのですから、これも当時のブームに乗ったという事なのでしょう。


「ダニー・ボーイ」~当時のTV映像


「ダニー・ボーイ」~アンディ・ウイリアムスのバージョン


「ダニー・ボーイ」~エルビス・プレスリーのバージョン


ナット・キング・コールばりのハートウオーミングな歌声で一世を風靡した黒人シンガー兼キーボード奏者/アール・グラント。

彼が1958年にリリースした通算5枚目のシングル「ジ・エンド」という名曲のヒットと共に、彼の名前はアメリカンポップス界に永遠に残っています。

曲の方は、しみじみとしたバラード調で、ジ・エンドとは、虹の終わり、物語の終わり、川の終わり、ハイウエイの終わり、と歌っており、我々の恋も命ある限り続くのだ、と結んでいます。

当時、日本でシングルがリリースされた時は「愛よ永遠に」という邦題が付けられておりましたが、一応なるほど、と思わせるタイトルですね。

派手さのないしっとりとした曲で、当時のヒット曲の中では異色の存在ですが、やはり名曲は売れなければいけないのです。


「ジ・エンド」~オリジナル音源


「House Of Bamboo」~ラテン・フレイバーたっぷりに歌っています。


「Last Night」~ハモンド・オルガンを弾きながら歌うアール・グラントです。



'60年代当時、最も有名なイタリアの音楽祭と言えば「サンレモ音楽祭」でした。
一時は世界的に有名になったポピュラー音楽祭ですから、日本でも古いポピュラー音楽ファンには、なじみのある音楽祭のビッグネームです。
1950年代から60年代のサンレモ音楽祭の入賞曲は、毎年の様に日本でも紹介されてヒット曲となっていました。

その1958年のサンレモ音楽祭に、イタリアの男性シンガー/ドメニコ・モドゥーニョが初出場し、「ボラーレ」という曲を歌って優勝するという栄冠を勝ち取っています。
この曲は、作詞はフランコ・ミリアッチ、作曲はドメニコ・モドゥーニョ自身で、いわゆる自作の曲で初参加して見事にグランプリを受賞したのですね。

その後、この「ボラーレ」はアメリカで発売されて、やがて大ヒットします。
そして、アメリカで発売された外国音楽では初めてのミリオンセラーを記録するという記念碑的な曲となり、さらに、この1958年から制定されたグラミー賞で「ソング・オブ・ジ・イヤー」までも獲得しています。

「ボラーレ」の世界的なヒットにより、イタリアのサンレモ音楽祭の名前が世界的に有名になったのですから、その功績には多大なものがありますね。

ドメニコ・モドゥーニョの歌も、まずバースの部分の語りから入り、やがて盛り上がって行って「ボラーレ」と高らかに歌い上げるという、イタリア語が分からなくても十分に楽しめるカンツォーネの名曲です。


「ボラーレ」~当時のモノクロTV映像


「ボラーレ」~ジプシーキングスの有名なカバー・バージョン


1940年代から歌い始めたブロンド・ヘアーの女性歌手ペギー・リーは最初、ベニー・グッドマン楽団の専属歌手としてショービジネス界のキャリアをスタートし、それから後にソロとして独立しています。

その彼女が1958年に放ったミリオンセラー・ヒット曲が「フィーバー」。
ドラムとウッドベースだけというとてもシンプルなバッキングで、この曲をクールかつ妖艶に歌うペギー・リーのボーカルは秀逸の一言に尽きます。

この曲以前に彼女の名前を決定的にしたのは、1954年の映画『大砂塵』のテーマ曲としてヴィクター・ヤングが作曲した「Johnny Guitar」でしょう。

また、1955年にはウオルト・ディズニーのアニメ映画「わんわん物語」の中で使われた楽曲「He's A Tramp」を作詞・作曲し、また声優としても参加していました。

あの独特のハスキーなアルト・ボイスで歌うペギー・リーにしびれたオールド・ファンも数多くいらっしゃるでしょうね。


「Johnny Guitar」~オリジナル音源


「フィーバー」~オリジナル音源


「フィーバー」~1967年のスタジオライブより


「Why Don't You Do Right」~ベニーグッドマン楽団のボーカリスト時代のレア映像


「He's A Tramp」~これまたレアな「わんわん物語」のメイキングより



デビー・レイノルズと言えばまず「映画スター」と、どなたでも答えるでしょうね。

彼女は、カリフォルニア州バーバンクのミス・コンテスト入賞をきっかけに映画界入りし、1950年代には、フレッド・アステアの映画出演や、ジーン・ケリーのミュージカル映画「雨に唄えば」での好演でスターの地位を確立させています。
「雨に唄えば」でのジーン・ケリーとのダンス・シーンは、今でもミュージカル・ファンの語り草になっている位素晴らしいものでした。

その彼女が1957年に主演した映画「タミーと独身者/Tammy and the Bachelor」(残念ながら日本未公開です)で歌った主題歌「タミー」は、レコードがリリースされるやいなや、チャートをぐんぐん駆け上がり、やがて見事第1位を獲得しています。

このとても麗しくてロマンチックな曲調と、いつ聞いても思わず胸がキュンとなる様なデビー・レイノルズのキュートな歌声で、「タミー」は50年代ポップスの永遠の名曲の1つにあげられます。

余談ですが、映画「スター・ウォーズ」の最初の3部作でレイア・オーガナ姫を演じたキャリー・フィッシャーは、彼女の最初の夫で歌手のエディー・フィッシャーとの間に生まれた娘でした。


「タミー」~映画「タミーと独身者」より


1951年に「Cry」という全米で11週間No.1となったビッグヒット曲で有名なジョニー・レイは、エルビス・プレスリー登場以前の唯一の白人R&B歌手だ、と言われています。
実際、彼の歌がラジオから流れている時には良く、黒人の歌手だと思われていたそうです。

彼は「Prince of Wails(泣き叫びの皇子)」とか「Nabob of Sob(すすり泣きの大金持ち)」と呼ばれていましたが、その訳は、いかにも嘆き悲しむ様な歌い方をしていたから。
レイは当時、黒人女性R&B歌手のRuth Brownからそういう風な歌い方を学んだそうです。

今ではジョニー・レイの音楽がロックンロールの原型だ、とも言われていますが、確かに源流の1つとも言えるでしょうね。
彼は、ライブでピアノを弾きながらの激しいステージングが売りの1つだったのですが、これもまた、後のロックンローラー達に大きな影響を与えています。

そして、「Cry」と同様に彼の代名詞となっているミリオンセラー・ヒットが1956年の「Just Walking in The Rain(雨に歩けば)」で、日本でも大ヒットを記録してすっかりおなじみの曲ですが、この曲でも彼の泣き節はたっぷりと聞く事が出来ます。


「Cry」~オリジナル音源


「Just Walking in The Rain(雨に歩けば)」~オリジナル音源


「Walkin' My Baby Back Home 」~TVのステージより、いかにもアメリカンソングですね


「Shake a Hand」~TVのステージより



パット・ブーンがデビューしたばかりの頃は、ブームになり始めた初期のロックンロール・ナンバーをカバーしていましたが、彼の甘い歌声を活かすのはそれよりもバラードの方かも知れません。

1956年にその美声で甘く歌ってヒットしたのがおなじみの「アイル・ビー・ホーム/I'll Be Home」。
この曲のオリジナルは、黒人5名のコーラスグループ「フラミンゴス」で、同じ年にリズム&ブルース部門でヒットさせています。

やはり彼には、この曲や、「砂に書いたラブレター/Love Letter In The Sand」とか「April Love」の様な、その美しく甘い歌声が100%生かせる曲の方が合ってる様に思えますね。

他に、パット・ブーンの初期のロックンロール・カバー曲としては、ファッツ・ドミノの「Ain't That A Shame」やリトル・リチャードの「トゥッティ・フルッティ」などがありまして、彼の最近のショーでは、こういった懐かしいロックンロールナンバーを取り上げるコーナーも設けていますから、やはりこの頃のナンバーというのは今でもファンに喜ばれるのですね。


「I'll Be Home」~オリジナル音源より


「砂に書いたラブレター」~初期のモノクロTV映像より


「Ain't That A Shame」~初期のTV映像より


「キングストン・トリオとパット・ブーン」~TVでの共演シーンです


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。