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ポップス黄金時代~ Popular Hit Parade ~

1950年代から現代までの、洋楽ポップス・ヒストリーを華やかに彩った偉大なるアーティスト達と、その時代に輝く名曲の数々を辿って参ります。
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この曲こそ永遠の「夏」のテーマと言えるでしょう!

イントロのフルートとピアノによるゆったりとした3連譜で始まり、美しく爽やかなストリングスのメロディが流れ出した途端に、誰もがあのまばゆいばかりの「夏」にいざなわれるのです。

パーシー・フェイス・オーケストラの代名詞ともなったこの曲は、マックス・スタイナー作のとても美しいバラードで、オールド・ファンには懐かしくて堪らないトロイ・ドナヒューとサンドラ・ディー主演で1959年に封切られた映画「避暑地の出来事」の主題曲として、翌1960年には9週連続アメリカのヒットチャートのNo.1となるという爆発的なヒットを記録しており、勿論ミリオンセラーにもなっています。

また、'60年のグラミー賞のレコード・オブ・ザ・イヤーにも輝いておりまして、それ以降、レターメンやベンチャーズなど数々のカバー・バージョンを生んでいます。

'50年代から'60年代では、オーケストラのインストゥルメンタルものがヒットチャートに登場して賑わせる、という良き時代でもありました。


「夏の日の恋」~オリジナル音源


「夏の日の恋」~当時のTV映像/指揮をしているパーシー・フェイスが見れる貴重版!


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ジョニー・プレストンはテキサス州出身の男性シンガーで、彼は1959年にシングル「悲しきインディアン(ランニング・ベア)」でデビューしています。

この曲は翌1960年に入ってヒットチャートのNo.1を獲得しており、デビュー曲がいきなりNo.1という幸先の良いスタートだったのですね。

「ウンバ、ウンバ」というインディアンの掛け声で始まるこの曲は、流れが急で幅の広い川の両岸に住む敵同士の種族に居た若くて勇敢なランニング・ベアと、リトル・ホワイト・ダブの悲しい恋の物語。
愛し合っている二人は、意を決してお互いが飛び込んで泳いで行き、川の中でやっと手を取り合って唇を重ねられたのですが、濁流に飲み込まれて流されていってしまいました、という内容です。

日本でも当時、大ヒットを記録していまして、邦題も当初は「ランニング・ベア」とカタカナ表記でシングルカットされていました。

この曲の作者はJ.P.リチャードソンとクレジットされていますが、実は「シャンティリー・レース」をヒットさせたビッグ・ボッパーだったという訳です。


「悲しきインディアン」~オリジナル音源


マーク・ダイニングはオクラホマ出身の男性シンガーで、「ボタンとリボン」というミリオンセラー曲を歌ったダイニング姉妹の弟にあたります。

そのマーク・ダイニングの唯一と言って良いヒット曲が1960年にリリースされた「ティーン・エンジェル」。

タイトルを直訳すると「10代の天使」という事になりまして、恋する彼女は天使だ、という様な甘いラブソングか、と思えばその逆で、僅か16才の彼女が車にはねられて亡くなってしまい、彼女の亡骸に向かって「僕の声が聞こえるかい?僕が見えるかい?」と呼びかけて嘆く、という内容の歌です。

恋人の死に直面して深く悲しみに暮れるという曲なのですが、マーク・ダイニングによって静かに歌われていて、ある種「優しさ」が感じられる所がヒットした理由ではないでしょうか。


「ティーン・エンジェル」~当時のTV映像(アメリカン・バンドスタンドより)

1957年に「白いスポーツ・コート」をポップス・チャートでヒットさせたマーティ・ロビンスは、元々はカントリー&ウエスタンの世界で活躍して来たシンガーです。

その彼の決定的なヒット曲が1959年にリリースされた「エル・パソ」で、この曲は翌1960年の初頭に見事チャートNo.1を獲得するという大ヒットとなっています。

当時、通常のポップスは曲のラップが2分台というのが常識、という中で、この「エル・パソ」は何と4分22秒もの大作でした。
それでもNo.1ソングとなっているのですが、それは、この曲がいわゆるガン・ファイターの物語風にストーリー展開しているという内容になっていて、そこが面白かったのでしょうね。

テキサスの西のはずれ、エル・パソという町で、フェリーナというメキシコ娘に恋をしたガンマンが、その娘をものにするために男を撃ち殺してしまう、そして逃亡生活に入る、という事でその顛末が歌われているのですが、これは日本で言う所の講談的な面白さがヒットした理由ではないでしょうか。

後に、パットー・ブーンやブラザーズ・フォアもこの「エル・パソ」をカバーしてアルバムに収録していまして、それぞれのバージョンもなかなか出来が良いので、ぜひ一度聞いて頂きたいですね。


「エル・パソ」~オリジナル音源


「エル・パソ」~TV映像より、やはりライブはいいですねえ!

 カナダからやって来たポール・アンカは、1957年に若干15才で自らのオリジナル曲「ダイアナ」をひっさげてアメリカのポップス界に颯爽と登場し、次々と大ヒット曲を連発して時代の申し子となりました。

その彼が1959年にリリースした「あなたの肩に頬うめて/Put Your Head On My Shoulder」は、ポール・アンカのスロー・バラードの中でも屈指の名作です。

その前年の1958年には、同系統のバラード「君は我が運命/You Are My Destiny」を発表しており、こちらはマイナーのメロディで少しシリアスな感じがありましたが、この「あなたの肩に頬うめて」は、甘くムーディーな作品ですね。

「君の頭を僕の肩に置いて、君の腕で僕を抱いて、きつく抱きしめて、僕を愛してると言っておくれ」と、恋する二人の甘い関係を歌っています。

この頃、ポール・アンカは女性シンガーのアネットと噂があり、その彼女に捧げた曲だと言われていました。

この曲の原題を直訳すると「君の頭を僕の肩に置いて」となるのですが、邦題の方は「あなたの肩に頬うめて」となっており、関係が逆の様な気がします。
これも結構な意訳だと思われますが、当時はその方がムーディーで良いという解釈だったのでしょうか。


「あなたの肩に頬うめて」~アメリカン・バンドスタンドより


「あなたの肩に頬うめて」~エド・サリバン・ショーより。放送時間の関係でしょうか、フル・コーラスではなくショート・バージョンになっていますが、アレンジがフルオケですね。


コンウェイ・トゥイッティは、'70年代以降はカントリー&ウエスタンの世界で大御所となったシンガーですが、若かりし頃の1950年代はバリバリのロックンロール・シンガーでした。

その彼が1959年に放ったヒット曲に、ロックンロール調にアレンジされた「ダニー・ボーイ」があります。

この曲、元々は北アイルランドの港町ロンドンデリーに伝わる民謡が原曲で、日本でも音楽の教科書などでは「ロンドンデリーの歌」として紹介されていました。

郷愁を誘う様なとても美しいメロディを持つ名曲ですが、その曲にイギリスのF・エドワード・ウエザリーが新しい詞をつけ、「ダニー・ボーイ」というタイトルで歌われてポピュラーになったものです。

素朴なタッチのハリー・ベラフォンテや、ムーディーなアンディ・ウイリアムスの名唱でおなじみの曲ですが、コンウェイ・トゥイッティのバージョンは、途中からロックンロールに変わるというアレンジがなされていて、それが結構なヒットとなったのですから、これも当時のブームに乗ったという事なのでしょう。


「ダニー・ボーイ」~当時のTV映像


「ダニー・ボーイ」~アンディ・ウイリアムスのバージョン


「ダニー・ボーイ」~エルビス・プレスリーのバージョン


ジョニー&ハリケーンズは、オハイオ州出身の5人組のインストゥルメンタル・グループ。

「レッド・リバー・バレー」というアメリカ西部に昔から伝わるカウボーイ・ソングは、日本でも昔は学校の音楽の教科書に乗っていた事もありましたから、ご存知の方も多い曲だと思います。

その曲をジョニー&ハリケーンズが1959年にロックンロール・インストにアレンジして「レッド・リバー・ロック」と題してリリースしたのですが、これが当時大ヒットしています。

原曲の素朴さを残しつつ、テナーサックスとオルガンをフューチャーした、ノリの良いロックンロール調にアレンジした所がウケたのでしょうね。

そしてこの曲は、日本で売れたロックンロール・インストの初期のヒット曲としても、その頃かなり話題になっておりました。

誰もが知ってる昔なじみの曲が時代に合わせて聞きやすくアレンジされた、という所がヒットした秘密なんでしょうね。

「レッド・リバー・ロック」~とある方のプライベート・テイク

アメリカのリズム&ブルース界きっての偉大なる大物、レイ・チャールズの登場です。

彼が1959年にリリースした「ホワッド・アイ・セイ/What'd I Say」のヒットにより、その存在がポップス・ファンの間でも広く知られる様になり、またこの曲が、世界中にアメリカの黒人音楽の魅力と、その独特のグルーブ感を伝えるのに充分な役目を果たしています。

オリジナル音源では、冒頭の約1分半はインストゥルメンタルで、それからやっとボーカルが出て来るという作りになっており、レイと黒人女性コーラスのコール&レスポンス(掛け合い)で、聞く者をぐんぐん乗せて行くという形はゴスペルの様式から取られたものですが、いつ聞いてもこの曲ならではの存在感を示しています。

少し前に封切られましたが、彼の生涯を描いた音楽映画「レイ」も見応えたっぷりでした。

この「ホワッド・アイ・セイ」が最初に日本でシングル・リリースされた時には「何と言ったら」という邦題が付けられていました。
これは、レコード会社の担当者の成せる業なのでしょうが、それにしても随分なタイトルを付けるものだなあ、という見本ですね。
さすがに今はその邦題を言う者は居ませんが・・・

彼のナンバーでは「ジョージア・オン・マイ・マインド」や「愛さずにはいられない」も忘れられない名作ですね。


「ホワッド・アイ・セイ」オリジナル音源


「ホワッド・アイ・セイ」~当時のTVショーより


「ジョージア・オン・マイ・マインド」~当時のTVショーより


「愛さずにはいられない」~当時のTVショーより



フェビアンは、1950年代の後半から活躍していた、フランキー・アバロンと並ぶアイドル・ロック・シンガーです。

彼は、エルビス・プレスリーが兵役で不在の時にデビューしてプレスリーばりに歌い、たちまちティーンエイジャーの人気者になっていました。

その彼の最大のヒット曲が1959年にリリースされた「タイガー・ロック/Tiger」です。

この頃、彼は人気絶頂で何曲もヒットを放っていましたが、1960年代になると段々とトーンダウンして行き、今度は俳優業に専念して映画の世界で活躍しています。

「タイガー・ロック」~当時のライブ・ステージより

「This Friendly World」~アップテンポのナンバーでおなじみのフェビアンが歌うバラードです。

ブラウンズはアーカンソー出身の兄と姉妹のコーラスグループで、主に1950年代後半から活躍していました。

そのブラウンズの名前を一気に高めたのが1959年に放った全米No.1ヒット曲「谷間に三つの鐘がなる」です。

「深い谷間のとある村でジミー・ブラウンは生まれた」という語り口調で始まるこの歌は、誕生・結婚・死と、村の礼拝堂の鐘は一人の人生のうち3回鳴る、という内容の歌詞を持っており、ブラウンズの美しいコーラスで、しみじみと味わい深く聞かせてくれます。

この原曲は、戦後まもなくシャンソン歌手のエディット・ピアフが歌って評判になった歌で、その後、英語の歌詞が付けられてブラウンズの代表的ヒットとなったもの、という訳です。


「谷間に三つの鐘がなる」~オリジナル音源


「スカーレット・リボン」~オリジナル音源


「谷間に三つの鐘がなる」~ライブ映像


「The Old Lamp Lighter」~最近のステージより/3人ともお元気そうですね!

ブルースの女王、それがダイナ・ワシントンに付けられた称号でした。

彼女はリズム&ブルースの世界で渋く卓越したシンガーとして認められ、1950年代に活躍しておりました。

その彼女が1959年にリリースして彼女の最大のヒット曲となったが「縁は異なもの/What a Difference a Day Makes」です。

この曲、元々は古いスペインの歌で、英語の歌詞が付けられたのは戦前の話。
そんな古い曲がダイナ・ワシントンの名唱で1959年にリバイバル・ヒットとなったのでした。

彼女はこの年、この曲でグラミーのベストR&B賞を受賞しています。

残念ながら彼女は1963年に39才の若さで他界していますが、彼女の歌声はこれからも愛聴され続けて行く事でしょう。


「縁は異なもの」~オリジナル音源

「Mad About The Boy」~オリジナル音源

「Send Me To The Electric Chair」~当時のTVショーより

ロイド・プライスは、ニューオーリンス出身の黒人リズム&ブルース界の大物と言われているシンガーです。

彼はまず1959年の初頭にリリースした「スタッガー・リー」という曲がNo.1ヒットとなっており、それに続いて「パーソナリティ」という彼の代表作と言われる曲をリリースしています。

この「パーソナリティ」という曲は、明るいリズム&ブルース、とでも言えば良いのでしょうか、鬱々とした独特のブルース感のある曲ではなく、どちらかというとネアカな曲で、女の子が個性的なのを讃えているという様な内容の歌でした。

当時、日本での発売当初も結構ヒットしておりましたが、その頃はこういったリズム&ブルース系の歌手の曲も日本にどんどん輸入されていたんですね。


「パーソナリティ」~オリジナル音源


「スタッガー・リー」~オリジナル音源


「パーソナリティ」~ブレンダ・リーのカバー・バージョン


ジョニー・ホートンは、テキサス生まれのカントリー&ウエスタン・シンガー。

その彼が1959年にリリースした「ニューオーリンズの戦い(Battle Of New Orleans)」は、彼の初めてのヒット・シングルでしたが、たちまち全米No.1となり、またミリオンセラーにもなるという大ヒット曲でした。

この曲はC&W系の曲ながら、当時のポップス・チャートで6週連続No.1となったのですから、いかに売れ行きが爆発的だったかが良く分かります。

またこの曲は、この年のグラミー賞のカントリー&ウエスタン部門の最優秀パフォーマンス賞、そしてソング・オブ・ジ・イヤーにも輝くという快挙を成し遂げたのでした。

元々はアメリカのトラディショナルな曲「1月8日」をアレンジしたもので、米英戦争の中で1815年の1月8日にニューオーリンズで英国軍を打ち破ったという内容の戦記ソングです。

当時、この曲は日本でもかなりのヒットを記録していますが、その訳は、歌詞の内容というよりも独特の調子の良い曲調にあったのではないかと思われます。


「ニューオーリンズの戦い」~当時のTVショーより



ディオン&ベルモンツは、白人ドゥ・ワップ・コーラスグループの草分け的存在のグループとして1958年にデビューしています。

その彼らの最大のヒット曲が1959年の「恋のティーンエイジャー(Teenager In Love)」。

これは、ちょっと切なくてロマンチックかつハッピーなメロディで、ディオン&ベルモンツの人気が決定的となった記念碑的な曲で、オールディーズ・ヒットパレードの中でも常に上位に挙げられる曲でもあります。

デビュー曲「I Wonder Why」は、いかにも、と言った当時のドゥ・ワップの典型的なパターンの曲で、他に「いつかどこかで」というビッグヒット曲もおなじみでした。

ディオンは後にソロ・シンガーとして独立していますが、やはりベルモンツ時代がベストだったのではないでしょうか。


「恋のティーンエイジャー」~ディック・・クラーク司会の当時の人気TV番組「ロックンロール・バンドスタンド」より


「I Wonder Why」~オリジナル音源

「いつかどこかで」~オリジナル音源


「The Wanderer」~オン・ステージ


「恋のティーンエイジャー」~マーティ・ワイルドのカバー


「恋のティーンエイジャー」~シャ・ナ・ナのカバー/ライブ・ステージより


キャシー・リンデンは1958年に20才でデビューした、アメリカの可愛い子ちゃん女性シンガーです。

彼女の日本での唯一と言っていいヒット曲が「悲しき16才/Heartache at Sweet Sixteen」。

実はこの曲、本国アメリカで1959年にリリースされたヒット・シングル「グッドバイ・ジミー・グッドバイ」のB面に収録されていた曲で、アメリカでは全くヒットしていなくて当時は話題にのぼる事もほとんどありませんでした。

所が日本でシングルが発売されると、このB面の「悲しき16才」の方がウケまして、結局、日本独自のオールディーズ・ヒット曲となっています。

キャシー・リンデンはちょっとハスキーで可憐な歌声の持ち主、彼女の「ヤヤ、ヤーヤ、ヤヤヤ、ヤ」というイントロの歌い出しを聞いただけで今でもオールド・ファンは胸がキュンとなるのです。

そしてこの曲は「悲しき16才」という邦題が付いていますが、これがオールディーズ・ヒット・ナンバーに数多くある「悲しき・・・」という邦題の先駆けとなった曲でもあります。

そして1960年にはザ・ピーナッツがカバーしてシングルが発売されてヒットしましたので、日本語バージョンの方がファンにはおなじみではないでしょうか。

ドディ・スティーブンスはカリフォルニア出身で、僅か13才でデビューしたアイドル女性シンガーでした。

その彼女の代表的なヒット曲が1959年にリリースされたデビュー曲「ピンク・シュー・レイセズ/Pink Shoe Laces」です。

これは、「私は彼を本当に愛してるの、ルックスは良くないけどちょっと変わってる、だってピンクのレースが付いたタン・シューズを履いてるんだもの」という、いかにもくったくのないティーンエイジ・アイドル・ポップという曲調ですが、これで全米No.1というビッグ・ヒットになったのですから、当時の世相もこういった曲がウケる良き時代だったんですね。

ただ、彼女は当時13才ながらその歌唱力は、そんな年代とはとても思えないくらいとてもしっかりとしていて、いわゆる天才少女と言われ、イギリスのヘレン・シャピロ的な存在感でした。


「ピンク・シュー・レイセズ」~オリジナル音源


「キャンディ・ストア・ブルース」~オリジナル音源



フリートウッズは、ワシントン州のハイスクールに通う男性1人、女性2人で1958年に結成されたソフト・ポップ・コーラスグループです。

その彼らが3人で曲を作り、1959年の春にリリースしたデビューシングルが「やさしくしてね/Come Softly To Me」でした。
この曲は、発売と共にチャートを駆け上がってやがて全米No.1を勝ち取り、ミリオンセラーにもなっています。

文字通り、優しくソフトに淡々と語りかける様に歌われており、最後まで声を張り上げる事もなく「ダムダム、ダムディダームダム、ドゥーダムダム」というスキャットもとても印象的で、1度聞いただけで何故か頭に残ってしまう不思議な魅力を持っています。

この思わずホッとさせてくれるムードは、今的には「ヒーリング・ミュージック」とでも言えは良いでしょうか。

同じ年の秋にはもう1曲「ミスター・ブルー」が全米No.1ヒットとなっており、彼らは’60年代の前半にかけて人気コーラスグループとして数々のヒット曲を放っていました。


「やさしくしてね」~オリジナル音源


「ミスター・ブルー」~オリジナル音源


「(He's) the Great Imposter」~オリジナル音源


「やさしくしてね」~今年の夏にオンエアーされたTVショーより


「やさしくしてね」~デルタ・リズム・ボーイズのカバー・バージョン/やはり雰囲気が少し違いますね


フィラデルフィア出身のフランキー・アヴァロンは、1950年代の終りに18才でデビューしたティーンエイジ・アイドル・シンガーとして’60年代の前半にかけてアメリカで爆発的な人気を誇っていました。

その彼の最大のヒット曲であり代表的な曲が1959年にリリースした「ヴィーナス」です。
この曲はリリースされるや否や、あっという間にアメリカのヒットチャートのNo.1となり、またミリオンセラーも記録しています。
この曲は、ロックンロールをベースに、ソフトで奇麗に仕上げたサウンドになっています。

そしてこの年の後半には、彼のもう1曲の代表曲「ホワイ」も全米No.1に輝いています。
こちらの曲もソフトタッチでせまる、美しいメロディラインがとても印象的な曲です。

それからのフランキー・アヴァロンは、歌の世界だけでなく映画にも出演して全米の人気者となっていました。

この頃のロックンロールはというと、不良の音楽だ!と言われていた初期の過激さが薄れて行き、段々と角が取れてソフトなオブラートに包まれた様な、一般的に”聞きやすい”サウンドに変わって行っています。
それはひょっとしたら、ポップスの世界で幅広い層に受け入れられるための、アメリカのポピュラー界の作戦だったのかも知れません。

この「ヴィーナス」もその良い例でしょうか。


「ヴィーナス」~当時のディック・クラークのTVショーの映像より


「ホワイ」~オリジナル音源


「ビーチ・パーティー」~アネットと共演した1963年の同名映画より


オールド・ドゥ・ワップ・コーラスグループの実力派として、ポップ・ヒストリーにしっかりとその名前が刻まれているグループの一つに「コースターズ」がいます。

彼らはエンターテインメント性に長けていて、そのステージングは観客を乗せる、楽しませるのを得意としていましたから、ライブ・ステージを見ると思わず「カッコイイ!」と叫びたくなるのです。

楽曲が作られる時からすでにステージングを意識してプロデュースされていたのではないか、と思われるくらい、彼らのレパートリーはエンターテインメントに徹した作り方がなされているのが分かります。

ですから彼らは1956年のデビューからたちまち人気コーラスグループとなり、ヒット曲を連発していました。

その中でも1959年のノベルティ・ソング「チャーリー・ブラウン」のビッグ・ヒットは、コースターズをトップグループに押し上げています。

それ以降、かのエルビス・プレスリーもコースターズのナンバーをいくつかカバーしていましたし、ビートルズの有名なデッカ・オーディションでも彼らの「スリー・クール・キャッツ」をカバーしています。

コースターズは他に、「サーチン」、「ヤケティ・ヤック」、「ポイズン・アイビー」、「ヤング・ブラッド」など、数多くのヒット曲を残しています。


「チャーリー・ブラウン」~オリジナル音源


「チャーリー・ブラウン」~最近のTVショーより


「ヤケティ・ヤック」~オリジナル音源


「Along Came Jones」~当時のモノクロTV映像


「ポイズン・アイビー」~最近のTVショーより


クレスツはニューヨーク生まれの黒人と白人の混合ドゥ・ワップ・コーラスグループです。

その彼らが1958年末にリリースした「シックスティーン・キャンドルズ」は、翌年の始めにかけて大ヒットし、チャートの第2位となっています。

イントロの歌い出しからすでに人の心をグッとつかみ、思わずその世界に引き込まれてしまう様な素敵な曲で、恋人が16才になった事を祝ってバースデーケーキに16本のロウソクを灯し、「おめでとう、愛してるよ」と優しく歌い上げています。
リード・ボーカルのジョニー・マエストロの歌声も抜群にいいですね。

この曲も、オールディーズ・バラードの名作として現在まで長く愛されて来ており、特に1973年に公開された映画「アメリカン・グラフィティ」の中でも印象的に使われた事でさらに有名になりました。

この映画「アメリカン・グラフィティ」は、スターウォーズを全世界で大ヒットさせたジョージ・ルーカスの、監督としての出世作としても当時は注目されまして、オールディーズ・ナンバーをふんだんに且つ効果的に使った映画として、音楽ファンの間でも高い評価を得ています。


「シックスティーン・キャンドルズ」~オリジナル音源


「Step By Step」~こちらはクレスツ1960年のヒット曲です


「シックスティーン・キャンドルズ」~ジョニー・マエストロ1990年のライブより



1950年代にニューオリンズ・ジャズのリバイバル・ブームが起こり、その中で、クラリネット奏者のクリス・バーバーが1959年に「小さな花/Petite Fleur(Little Flower)」という古い曲をカバーし、ヒットさせます。

やがてこの曲は日本にも紹介され、デビューしたばかりのザ・ピーナッツのカバーを生み、国内ではクリス・バーバーとザ・ピーナッツの両方のバージョンがヒットするという現象が起こっていました。

曲自体がマイナーの美しいメロディで、この曲は特に日本人に好まれていました。


「小さな花」~クリス・バーバーの音源


ここで登場したのが、ポール・アンカと共にオールディーズ・ポップス時代の代表的なシンガー・ソングライターとして挙げられる「ニール・セダカ」です。

彼は元々、ソングライターとして作詞家のハワード・グリーンフィールドとの名コンビで作品を発表しており、コニー・フランシスの「間抜けなキューピッド/Stupid Cupid」のヒット等で注目されていました。

そのニール・セダカのシンガーとしての最初のヒット曲が1958年の「恋の日記」で、曲は典型的な3連のロッカーバラードです。
胸がキュンとなる曲調、中サビで転調して行く技法など、曲作りの教科書と言って良いほどの出来栄えで、ロッカバラードの名作として今でも高い評価を得ております。

そして続いて1958年末にリリースされたシングル「おお!キャロル/恋の片道切符」は、翌年にかけて大ヒットし、ミリオンセラーを記録しています。

そしてその後、’60年代に入っても数々のヒット曲を生み続けてシックスティーズ・ポップス黄金時代の立役者となり、今でも世界中で愛されるアメリカンポップスの代表的なシンガーとなっています。

「おお!キャロル」は、後にシンガーソングライターとして有名になるガールフレンドのキャロル・キングに捧げた作品で、キャロル・キングはそれに対して「おお、ニール」というアンサー・ソングを発表していました。


「恋の日記」~オリジナル音源


「おお!キャロル」~当時のモノクロTV映像


「恋の片道切符」~最近のライブ映像より



ヒスパニック系のロックンローラーとして1958年にデビューしたリッチー・バレンスは、まずデビュー曲『カモン、レッツゴー」をスマッシュヒットさせ、それに続いて、A面が「ドナ」、そしてカップリングのB面が「ラ・バンバ」という彼最大のヒットシングルをリリースします。

この強力なカップリングのシングルはやがてミリオンセラーとなり、リッチー・バレンスを一躍スターダムに押上げたのでした。

所が残念な事に彼は、1959年2月、ツアーの移動中に小型飛行機の事故でバディ・ホリー、ビッグ・ボッパーと共に帰らぬ人となっています。
このロックンロール・スター3人の飛行機事故による死は当時、ポップス界に大きな衝撃となって報じられました。
そしてリッチー・バレンスは、その時18才という余りにも早い死でした。

彼の残したこの最大のヒットシングルの、A面の「ドナ」の方はリッチー・バレンス自身の作品で、ロマンチックなティーンエイジ・ラブ・バラードという曲調で、ヒットチャートでは最高2位を記録しています。

もう一方の「ラ・バンバ」は、今や全世界で愛されているラテン系のポップスの代表曲となっておりますが、元々はメキシコのトラディショナルな楽曲で、結婚式などで良く歌われて来たそうです。

こちらの曲の方がその後に様々な名カバーを生んでおり、1962年にはトーケンズ、1966年のトリニ・ロペス、そして1987年には、リッチー・バレンスの短い生涯を描いた映画「ラ・バンバ」のテーマ曲としてカバーしたロス・ロボスのバージョンは、全米No.1というビッグ・ヒットとなりました。


「ドナ」~オリジナル音源


「ラ・バンバ」~オリジナル音源


「カム・オン、レッツゴー」~オリジナル音源


「ラ・バンバ」~映画と共にヒットした余りにも有名なロス・ロボスのカバー・バージョン


デトロイト出身の黒人R&B歌手/ジャッキー・ウイルソンは、ボクサーとしてのキャリアもあって、そのボクサーとしての身のこなしの軽やかさとしなやかさが、彼の驚異的なダンスを生んでいます。

ダンスパフォーマンスでも見せてくれる黒人シンガーとしてはジェームス・ブラウンと双璧だと言われており、数多くの黒人アーティストに大きな影響を与えて来ました。

その歌って踊れるジャッキー・ウイルソンを目標にしていたのが少年時代のマイケル・ジャクソンで、そのダンスにはかなり影響されていました。
マイケル・ジャクソンがあみ出したあの驚くべきダンス・パフォーマンスのルーツは、実はジャッキー・ウイルソンにあったのですね。

そのジャッキー・ウイルソン最大のヒット曲であり代表曲が1958年の「ロンリー・ティアドロップス」で、この曲はミリオンセラーも記録しています。

このヒット曲を作ってプロデュースしたのが、後にモータウン・レーベルを立ち上げるベリー・ゴーディー・Jrでした。
彼はこの曲を手がけた事が認められて、それがきっかけとなって後に会社を興す訳ですから、モータウン・レーベルが生まれるきっかけとなったのがこの曲だ、という事でも重要な意味のある楽曲だと言えるでしょう。


「ロンリー・ティアドロップス」~当時のモノクロTV映像


「ロンリー・ティアドロップス」~ソウルにアレンジされたバージョン


テディ・ベアーズは、ロサンゼルスで結成された女性1名、男性2名の、当時はまだ学生グループで、メンバーの一人に後に大物プロデューサーとなるフィル・スペクターが居た事で有名です。

そのテディ・ベアーズが1958年にリリースしたシングル「会ったとたんに一目ぼれ/To Know Him Is To Love Him」は全米のヒットチャートNo.1を獲得しており、これが彼らの唯一のビッグ・ヒット曲です。
この時、フィル・スペクターはまだ18才でした。

この曲も、この年代のヒットポップスを象徴する1曲として、後に様々なアーティストによる数々のカバー・バージョンを生んでいます。
かのビートルズも、デビュー前からレパートリーの1曲として取り上げており、「BBCセッション」のCDでその音源を聞く事が出来ます。
ピーターとゴードンのカバー・バージョンでは「つのる想い」という邦題が付けられていました。

そして、1959年にはテディ・ベアーズは解散してしまうのですが、フィル・スペクターはレコーディング・アシスタントとして修行を積み、やがてレコーディング・プロデューサーとして力を発揮する様になり、'60年代のアメリカンポップスの世界で数々のビッグヒットを生んで行きます。

一方、テディ・ベアーズの女性リード・ボーカルのアネット・グラインバードは、後にキャロル・コナーズと改名して作曲家兼シンガーとして活躍しておりまして、彼女の作品で特に有名になったのは映画『ロッキー』のテーマ「Gonna Fly Now」でしょう。


「会ったとたんに一目ぼれ」~当時のモノクロTV映像


「会ったとたんに一目ぼれ」~リンダ・ロンシュタット、ドリー・バートン、エミルー・ハリスというウエストコーストの歌姫トリオのバージョン


「To Know Her Is To Love Her」~ビートルズのBBCセッションの音源


1950年代後半のアメリカで起こったモダン・フォーク・ブームの火付け役としてとても重要な役目を果たしたグループ、それがキングストン・トリオでした。

彼らは1957年にデイヴ・ガード、ボブ・シェイン、ニック・レイノルズという西海岸の3人の大学生で結成されています。

当時のモダン・フォーク・ブームは、アメリカの各地に伝わる古いフォーク・ミュージック(いわゆる民謡)を掘り起こし、現代流に焼き直して歌とギターやバンジョーを中心としたアコースティックな楽器で演奏するというもので、主に大学生の間で流行っていました。

そして、キングストン・トリオは1958年にキャピトル・レコードと契約し、ファースト・アルバム「The Kingston Trio」を発表します。
そのアルバムから「トム・ドゥーリー」がシングル・カットされたのですが、この「トム・ドゥーリー」がやがて全米No.1というビッグ・ヒットとなり、一気にフォーク・ブームが到来する事になります。

'60年代に入るとデイヴ・ガードが脱退し、その後任にジョン・スチュワートが加入します。
このジョン・スチュワートは後に、モンキーズのヒット曲としておなじみの「デイドリーム・ビリーバー」の作者としても名を馳せています。

キングストン・トリオは、メンバーチェンジを繰り返しながら数々のヒット曲を生んで行き、一旦解散してしまいますが後に再結成され、40年以上経った今も尚ステージ活動が続けられているのですから、その息の長さは驚異ですね。

彼らには「花はどこへ行った」や「グリーンバック・ダラー」など、これがキングストン・トリオだ、という名演が数多くありまして、今でも当時のフォークミュージックの魅力を教えてくれています。


「トム・ドゥーリー」~1958年のオリジナル音源


「花はどこへ行った/朝の雨」~アンディ・ウイリアムズ・ショーのステージより


「M.T.A.」~TVショーのライブより


「Greenback Dollar」~オリジナル音源


「メドレー:さすらいの賭博師/ジス・トレイン」~TVショーより


ナット・キング・コールばりのハートウオーミングな歌声で一世を風靡した黒人シンガー兼キーボード奏者/アール・グラント。

彼が1958年にリリースした通算5枚目のシングル「ジ・エンド」という名曲のヒットと共に、彼の名前はアメリカンポップス界に永遠に残っています。

曲の方は、しみじみとしたバラード調で、ジ・エンドとは、虹の終わり、物語の終わり、川の終わり、ハイウエイの終わり、と歌っており、我々の恋も命ある限り続くのだ、と結んでいます。

当時、日本でシングルがリリースされた時は「愛よ永遠に」という邦題が付けられておりましたが、一応なるほど、と思わせるタイトルですね。

派手さのないしっとりとした曲で、当時のヒット曲の中では異色の存在ですが、やはり名曲は売れなければいけないのです。


「ジ・エンド」~オリジナル音源


「House Of Bamboo」~ラテン・フレイバーたっぷりに歌っています。


「Last Night」~ハモンド・オルガンを弾きながら歌うアール・グラントです。



ボビー・デイは、テキサス生まれのロサンゼルス育ちのR&Bシンガー。

その彼の代表曲と言えば、1958年にヒットさせた「ロッキン・ロビン」でしょう。

タイトルを直訳すると「ロックするロビン(こまどり)」という事になるでしょうか。
歌の中でも鳥が歌う様子がスキャットの様に表現されていたりしていて、なかなか面白いロックンロール・ナンバーになっています。
ボビー・デイがこの曲をヒットさせたのは若干15才の時でした。

この曲は自身のオリジナルではありませんが、彼はソングライターとしても才能を発揮しており、デイブ・クラーク・ファイブの唯一のNo.1ソング「オーバー・アンド・オーバー」などは彼の作品です。


「ロッキン・ロビン」~ディズニー・アニメのミュージックビデオ


'60年代当時、最も有名なイタリアの音楽祭と言えば「サンレモ音楽祭」でした。
一時は世界的に有名になったポピュラー音楽祭ですから、日本でも古いポピュラー音楽ファンには、なじみのある音楽祭のビッグネームです。
1950年代から60年代のサンレモ音楽祭の入賞曲は、毎年の様に日本でも紹介されてヒット曲となっていました。

その1958年のサンレモ音楽祭に、イタリアの男性シンガー/ドメニコ・モドゥーニョが初出場し、「ボラーレ」という曲を歌って優勝するという栄冠を勝ち取っています。
この曲は、作詞はフランコ・ミリアッチ、作曲はドメニコ・モドゥーニョ自身で、いわゆる自作の曲で初参加して見事にグランプリを受賞したのですね。

その後、この「ボラーレ」はアメリカで発売されて、やがて大ヒットします。
そして、アメリカで発売された外国音楽では初めてのミリオンセラーを記録するという記念碑的な曲となり、さらに、この1958年から制定されたグラミー賞で「ソング・オブ・ジ・イヤー」までも獲得しています。

「ボラーレ」の世界的なヒットにより、イタリアのサンレモ音楽祭の名前が世界的に有名になったのですから、その功績には多大なものがありますね。

ドメニコ・モドゥーニョの歌も、まずバースの部分の語りから入り、やがて盛り上がって行って「ボラーレ」と高らかに歌い上げるという、イタリア語が分からなくても十分に楽しめるカンツォーネの名曲です。


「ボラーレ」~当時のモノクロTV映像


「ボラーレ」~ジプシーキングスの有名なカバー・バージョン


偉大なる一発屋、と言われるエレガンツの登場です。

彼らはニューヨーク出身の男性5人組のコーラスグループで、1958年に「リトル・スター」という唯一の全米No.1ヒットを放っています。

歌の方は簡潔明瞭で、小さな子供の英語の勉強ソング「Twinkle, Twinkle, Little Star. How I Wonder What You Are」という曲の歌詞を、この歌では「Twinkle, Twinkle, Little Star. How I Wonder Where You Are」と歌っています。

そして曲調は、これがまた典型的なオールディーズ・パターンのシンプルな循環コードの繰り返しで、とても分かりやすく、聞きやすく出来ていて、2~3回聞けば覚えてしまう、といった感じです。
この、誰にでも分かりやすい、覚えやすい、と言った所が当時のヒット曲の要因だったのでしょうね。


「リトル・スター」~オリジナル音源


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