ペレス・プラードは1916年のキューバ生まれで、若い頃はキューバ国内の色んなバンドでピアノを弾き、曲も作る様になっていました。
その頃、キューバではルンバなどのリズムが流行っており、彼はそれとジャズの要素を組み合わせて新しい「マンボ」というリズムを生み出したのです。
しかしこの新しいリズムはキューバ国内ではあまりウケなかったので彼はメキシコへ移り、そこで自分の楽団を結成します。
そして1940年代の終り、遂に「マンボ」をヒットさせて人気アーティストとなります。
それから遂にアメリカに進出し、1955年に「セレソ・ローサ(チェリー・ピンク・マンボ)」のヒット曲を生み出します。
そもそもこの曲は、原曲がフランスのシャンソンですが、ペレス・プラードのアレンジにより見事にマンボに生まれ変わっています。
それ以降、代表曲となった「マンボNo.5」ほか立て続けにヒット曲を出して行き、やがて世界中にマンボ・ブームを巻き起こしています。
この頃、日本でもマンボを始めとするラテン・ブームが巻き起こっています。
当時、マンボのリズムに夢中になった方は沢山いらっしゃると思いますが、代表曲の「マンボNo.5」、「パトリシア」、「マンボNo.8」、「マンボ・ジャンボ」、「闘牛士のマンボ」などを挙げますと、オールドファンには懐かしさがいっぱいではないでしょうか。
ペレス・プラードは、激しく動き回ったり踊りながら楽団を指揮して、ブレイクのタイミングでは有名な「アーーーーー、ウッ!」というかけ声をかけるのですが、今や、それがすっかりペレスプラード楽団の、そしてマンボの定番となっています。
当時は、楽団もののインストゥルメンタルのレコードの場合は人の声は入らないものという変な常識の様なものがあった様なのですが、このペレス・プラードの「アーーーーー、ウッ!」というかけ声が出て来た時には、聴いてる人にかなり驚かれたという事です。
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「セレソ・ローサ」~この雰囲気、これぞラテン!ですね。
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「マンボNo.5」~数あるマンボの曲の中でも1番の代表曲。
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「マンボNo.8」~当時のモノクロ映像
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「パトリシア」~当時のモノクロ映像
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